西洋音楽史 - 時代の流れ
このページは、古代〜20世紀各論までの時代の流れを整理するという位置づけである。
このページは、時代背景と出来事を軸に、古代〜20世紀各論の流れを整理する。
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ページ内目次
古代エジプト(紀元前30世紀頃〜紀元前1世紀頃)
時代背景
儀礼と楽器文化
紀元前30世紀ごろのエジプトでは、儀礼・祭礼・宴席を横断して音楽が機能した。
ハープなどの弦鳴楽器の演奏場面は、図像・墓室・碑文に広く残された。
振って鳴らすシストラム(ガラガラ型)も、神殿儀礼の重要楽器である。
音楽史
技術革新と広域伝播
紀元前3世紀のアレクサンドリアでは、クテシビオスが水圧オルガンを成立させた。
この楽器はヒュドラウリスとも呼ばれ、公開娯楽空間で大音量を担う。
古代〜中世にかけて、バルバットは西方でウードを経てリュートへ連なる系譜を形成した。
同時に東方では中国の琵琶(ピパ)へ伝播し、広域交流の痕跡を示す楽器となった。
古代ギリシア(紀元前10世紀頃〜紀元前1世紀頃)
時代背景
ポリスの展開
ミケーネ文明後のギリシア文明は、ポリスと植民活動の拡大を進めた。
その結果、紀元前5世紀ごろにはアテネで政治文化の最盛期を迎えた。
ただしマケドニアの介入により、従来の秩序構造全体は再編された。
音楽史
ムーシケーと劇場文化
- 音楽は詩・舞踏と分離しないムーシケーとして理解されたという学習上の基準である。
- ミュージックの語源は、このムーシケー概念に由来する語史と連続する。
- 古代ギリシアの楽器はリラ・キタラ・アウロスが中心的に用いられた。
- ホメロス《イーリアス(イリアス)》と《オデュッセイア》は、叙事詩伝統と結び付いて受容された。
- ギリシア悲劇/喜劇は、オルケストラ・スケネ・テアトロン・コロスを備える劇場で上演された。
- ディオニュシア祭で展開し、ソフォクレス《オイディプス王》が代表作である。
理論体系の形成
- ピタゴラス(ピュタゴラス)学派は、数比によって音程関係を説明した。
- オクターブ(1:2)と完全5度(2:3)を整理し、3:2連鎖のピュタゴラス音律を展開した。
- テトラコルド(四音音階、完全4度枠)で音組織を理論的に体系化した。
- ディアトニック・クロマティック・エンハーモニックの三属を区分した。
- プラトンは『国家』で、音楽が人格と国家秩序に作用するエートス論を示した。
アリストテレスは、音楽を閑暇と高尚な享楽を支える教育要素として論じた。
後世受容
16〜18世紀、オスマン・トルコのジャニサリー(メフテル)軍楽は、西欧側に強い影響を与えた。
その影響でシンバル・トライアングル・大太鼓が浸透し、アッラ・トゥルカ様式が定着した。
古代ローマ(紀元前8世紀頃〜5世紀)
時代背景
継承と学芸教養
紀元前〜紀元後1世紀のローマは、エトルリアとギリシアの伝統を継承した。
音楽を学芸教養として位置づける認識は、後世のクアドリウィウムへ連なる。
音楽史
器楽実践と都市文化
実践面ではティービア(アウロス系ダブルリード、3〜4指孔)が広く用いられた。
コルヌ・トゥーバ・ブッキナも、儀礼・軍事・競技の合図で機能した。
ポンペイの街路楽師モザイクや、コロッセウム・劇場の祭典記録が残る。
テルマエとの用途差を踏まえると、都市文化に根づく音環境が確認できる、
皇帝像と後世受容
54〜68年のネロ(ネロー)は、当時の音楽家皇帝像を形成した。
その皇帝像は、後世のオペラ題材として継続的に参照され受け継がれた。
モンテヴェルディ《ポッペアの戴冠》(ポッペーアの戴冠、1642〜1643)に反映された。
ヘンデル《アグリッピーナ》(1709)にも題材継承の形で現れた、
中世(5〜15世紀)
時代背景
政治秩序の変動
- ピュドナの戦い(前168年)後、マケドニア王国は後退しローマ秩序が拡大した。
- ローマはパクス・ロマーナを形成したのち、帝国は東西分裂へ向かう。
- 東ローマの安定と西ローマの衰退が進み、(西低東高)の構図が鮮明化した。
- 西ローマ滅亡後はフランク人と教会が結びつきフランス・イタリア・ドイツの原型が形成された。
宗教権威と文化転換
教皇権は十字軍を通じて伸長したが、内部矛盾も蓄積し緊張が高まった。
14世紀にはルネサンスへの転換が始まり、価値観の再編が進んだ。
建築ではロマネスク様式が展開し、バーリのサン・ニコラ聖堂が代表例である。
その後はゴシック様式が伸長し、パリのノートル=ダム大聖堂(着工1163)が象徴となった、
音楽史
典礼体系と記譜法
音楽面ではフランク王国(カロリング朝)でグレゴリオ聖歌が標準化され、典礼の共通基盤となった。
その性格は単旋律無伴奏であり、ラテン語の体系(通常文/固有文)を核とした。
記譜はネウマ譜から線譜化へ進み、音高関係をより正確に共有できるようになった。
グイド・ダレッツォがソルミゼーション(ウト-レ-ミ-ファ-ソル-ラ、のちドレミ)を普及させた。
多声化とノートル・ダム楽派
多声音楽はトロープス・セクエンツァを基盤に、平行オルガヌム(4度・5度)から自由オルガヌムへ進んだ。
この過程でディスカント様式とオルガヌム様式が整理され、テノールとクラウスラの概念も成立した。
モテットとコンダクトゥスが展開し、アルス・アンティクァからアルス・ノヴァ(新技法)へ移行した。
ノートル・ダム楽派ではレオニヌス(レオナン)とペロティヌス(ペロタン)が中核を担った。
アルス・ノヴァと世俗ネットワーク
フィリップ・ド・ヴィトリーとギヨーム・ド・マショーの時代、メンスーラ記譜法は精密化した。
拍節では2分割/3分割が併存し、細分音価シンコペーションと逆行カノンの運用が高度化した。
《ノートルダム・ミサ》《我が終わりは我が始め》に代表される宗教曲と世俗曲が成立した。
世俗ではバラード・ヴィルレー・ロンドー(定型詩形)が定着し、宮廷風愛と多声シャンソンが隆盛した、
中世末にはジョン・ダンスタブルの3度/6度協和が大陸へ波及した。
世俗実践ではトルバドゥールとトルヴェールが、オック語/オイル語で宮廷恋愛歌を担った。
ジョングルールとミンストレルは芸人層として、イングランドを含む諸地域へ演目を伝播した。
ドイツのミンネジンガーと放浪知識人ゴリアールは、恋愛歌と風刺歌の伝承を担った、
ルネサンス(15〜16世紀:前期15世紀)
時代背景
教会秩序の再編と戦争環境
14世紀末、教皇権は十字軍失敗と黒死病で相対化され、農民・領主・諸侯・王権の力関係が再編された。
ブルゴーニュ公が支えるブルゴーニュ公国は、フランドル(ベルギー/オランダ)の繁栄で文化中枢となった。
100年戦争(1337-1453)ではイングランドとフランスが抗争し、ブルゴーニュ同盟が変動した。
ジャンヌ・ダルクの登場は、教会秩序再編と王権再集中の時代を象徴した、
都市成長と技術普及
北イタリアでは地中海貿易と都市国家の成長を背景に、文化運動が活性化した。
古代ギリシア・ローマ美の再生をめざすこの運動は、のちにルネサンスと呼ばれた。
人間中心の思想が浸透し、遠近法と科学技術の発達が芸術と知の編成を更新した。
羅針盤・火薬・活版印刷の普及は、交易・軍事・知識流通を再編し、社会構造の変化を加速した、
特に楽譜印刷とタブラチュア譜出版は、聖職者以外の市民階級へ音楽実践を拡張した。
この普及は器楽需要を押し上げ、家庭や都市空間での演奏文化を定着させた。
ヴァージナルの流行は、印刷媒体と私的演奏の結合を示す象徴例である。
音楽史
ブルゴーニュ楽派と循環ミサ
ブルゴーニュ楽派が成立し、ギヨーム・デュファイ(1397-1474)やジル・バンショワが活動した。
イングランド由来のジョン・ダンスタブル系3度・6度感覚とフォーブルドンで、和声観は大きく更新された。
その基盤の上で循環ミサが発展し、とくに定旋律ミサの構築原理が強く共有された。
定旋律(カントゥス・フィルムス)は、既存旋律を反復して全曲の統一を作る原理である。
リズム動機とイソリズム(リズム型/旋律型反復)も、声部展開の統一を支える技法である。
代表作はギヨーム・デュファイ《ロム・アルメ・ミサ》で、テノールにロム・アルメ旋律を配置する。
フランドル楽派への移行
15世紀後半には重心がフランドル楽派へ移り、ヨハネス・オケゲムが基盤を築いた。
ジョスカン・デ・プレは、ポリフォニーと通模倣技法を高度化した。
ジョスカン・デプレ(1450-1521)とも表記され、パロディ・ミサは既存多声音楽の転用で定着した。
代表作は《パンジェ・リングァ・ミサ》と《アヴェ・マリア…ヴィルゴ・セレナ》である。
様式概念の整理
この時期には、モノフォニー・ポリフォニー・ホモフォニーの差異が明確化した。
対位法とメロディー/伴奏という整理が進み、後世理論の基軸が定着した。
3度・6度を美しいとみなす価値観と、動機反復による構造化が共有された。
人間中心主義と音響美の接続は、近代西洋音楽の基盤形成に直結する、
ルネサンス(15〜16世紀:後期16世紀)
時代背景
宗教改革と政治秩序
ドイツでは免罪符問題を背景に、教会批判として宗教改革が始動した。
1517年のマルティン・ルターによる95ヶ条の論題を契機に、ルター派(プロテスタント)が成立した。
カトリック圏(主にイタリア)は、対抗宗教改革とトリエント公会議で再編を進めた。
ヘンリー8世は英国国教会を創設し、主権国家化したフランスは同時代のハプスブルク家と拮抗した、
音楽史
礼拝歌と宗教音楽の再編
ドイツ語礼拝歌としてコラール(讃美歌・単旋律・信徒参加)が整備された。
ヨハン・ヴァルターとマルティン・ルターが、初期レパートリー形成を主導した。
《神はわがやぐら》は代表例で、後に多声化されてバロックへ接続する。
世俗側ではシャンソンとリートが展開し、鳥の歌とテノールリート、ハインリヒ・イザークが重要である、
ローマ楽派と世俗ジャンル
イタリアのローマ楽派ではパレストリーナが歌詞明瞭性を重視し。《教皇マルチェルスのミサ》で6声でも可読性を担保した。
宗教曲の軸はミサ曲/モテットで維持されポリフォニー伝統は断絶を回避した。
世俗側ではシャンソン(クロダン・ド・セルミジ、クレマン・ジャヌカン《鳥の歌》)。リート(テノールリート、ハインリヒ・イザーク)が展開した、
イタリア世俗曲と劇的表現
イタリア世俗曲は《カント・カルナシャレスコ》《フロットラ》《マドリガーレ》へ発展した。
詩と音楽の一致が高度化し、《マドリガーレ集》が中核語法を示した。
カルロ・ジェズアルドは半音階・不協和音で、《マドリガーレ集第5巻》《マドリガーレ集第6巻》を残した。
クラウディオ・モンテヴェルディは第2の作曲法を掲げ、《オルフェオ》で劇的表現を示した、
ヴェネツィア楽派と様式の接続
サン・マルコ大聖堂の残響空間を背景にヴェネツィア楽派が成立し、アンドレア・ガブリエリが基盤を築いた。
ジョヴァンニ・ガブリエリが継承し、二重合唱様式(コリ、スペッツァーティ)とコンチェルタート様式が発達した。
《弱と強のソナタ(ピアノとフォルテのソナタ)》は、初期に強弱記号と楽器指定を示す代表的な作品である。
音楽思想は第1の作曲法/第2の作曲法、叙情的/典礼的/劇的とマニエリスムを後続へ接続した、
バロック(17世紀〜18世紀前半:声楽/器楽)
バロック期の時代背景と音楽史の連動を整理するという学習上の基準である。
時代背景
政治秩序と美学理念
16〜17世紀のヨーロッパ(イタリア・フランス)では、絶対王政と教会が芸術を権威表象へ動員した。
その結果、劇的でわかりやすい表現が重視され、ルイ14世を象徴とする宮廷文化が拡大した。
誇張・調和・運動感・対比・劇性が強調され、アフェクト論(情念論)が感情表出の理論枠として機能した。
背景には17世紀の危機、30年戦争、宗教改革/対抗宗教改革、教皇権低下があった、
声楽史
カメラータとオペラ成立
声楽ではフィレンツェのカメラータが古代ギリシアの悲劇復興を掲げ、単旋律と和音のモノディーを整えた。
音楽劇(オペラ)へ接続し、ヤコポ・ペーリ《エウリディーチェ》とクラウディオ・モンテヴェルディが担った。
《ダフネ》《オルフェオ》を経て、1637年以後はヴェネツィア(ヴェネチア)公開劇場で商業化が進んだ。
構成は序曲-レチタティーヴォ-アリアで、ダ・カーポ・アリア(ABA)が標準化した。
フランス宮廷とオラトリオ
フランスではリュリ(ジャン=バティスト・リュリ)という点が重要である。がバレエとフランス式オペラを統合し、舞踊重視とイタリア序曲対比の序曲語法を展開。
宗教側ではオラトリオ(語源オラトリウム=祈祷所/祈祷室)が、四旬節オペラ制限期の代替として劇場普及。
エミリオデ・カヴァリエーリ《魂と肉体劇》ヘンデル《メサイア》《サムソン》《ユダス・マカベウス》代表。
器楽史
通奏低音と形式分化
器楽では通奏低音(低音部+数字付き低音/数字記号)を基盤に、構造性と技巧性が拡大した。
ポリフォニー的楽曲(リチェルカーレ/フーガ)、舞曲(組曲)という位置づけである、多部分形式(カンツォーナ/ファンタジア/ソナタ)が中核を担った。
調性(長調/短調)の確立で転調と構成美が深化し、組曲はアルマンド-クーラント-サラバンド-ジーグと6/8等複合拍子を用いた。
ソナタ・ダ・キエーザ(教会ソナタ)とソナタ・ダ・カメラ(室内ソナタ)が分化し、コンチェルト(合奏協奏曲/独奏協奏曲)とリトルネロ形式が古典派へ接続した、
主要作曲家と作品
主要作曲家として、アルカンジェロ・コレッリはコンチェルト・グロッソとトリオ・ソナタの規範を提示し、アントニオヴィヴァルディは《四季》(作品8《和声と創意試み》)で標題音楽とリトルネロ形式を確立した。
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(J.S.バッハ)は《トッカータとフーガ ニ短調》と《平均律クラヴィーア曲集》《ブランデンブルク協奏曲》に加え。《無伴奏チェロ組曲》《無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ》(旧《ヴァイオリンソナタ》)を残した、
さらに《マタイ受難曲》《ロ短調ミサ》により声楽と器楽の書法を統合し、バロック後期の総合様式を示した。
ヘンデルは《リナルド》《アグリッピーナ》(1709)《ジュリオ・チェーザレ(エジプトのジュリオ・チェーザレ)》に加え。《調子の良い鍛冶屋》(エアと変奏、HWV430、組曲集1720刊・HWV426-433)を残した、
楽器編成と音響拡張
楽器史でチェンバロ/クラヴサン/ハープシコードクラヴィコード(タンジェント/ベーブング)が併存した。
パイプオルガン/オルガンヴィオラ・ダ・ガンバヴァイオリンリコーダーフラウト・トラヴェルソも定着した。
オーボエ/ファゴットナチュラル・トランペット/ナチュラル・ホルン(バルブなし/自然倍音)は分化した。
室内楽と宗教空間の双方で、音響を拡張する中核的役割を担ったという位置づけである、
前古典派(18世紀前半〜後半/1720年頃〜1780年頃)
時代背景
社会経済と思想変動
18世紀前半〜後半のヨーロッパ(特にドイツ・イタリア)はバロックからウィーン古典派への過渡期である。
王侯貴族中心の秩序に市民・ブルジョワジーが加わり、土地と資本の力学が再配分された。
長期的には市民革命と資本主義経済の拡大、啓蒙主義、出版市場、公開演奏会の成長が背景にある。
ピューリタン革命(1642)、名誉革命(1688)、フランス革命(1789)が文化受容を後押しした、
美学転換と管弦楽運用
美学はロココの繊細へ傾き、啓蒙思想の明晰さはギャラント様式へ接続した。
マンハイムのマンハイム楽派(ヨハン・シュターミッツ)は、オーケストラ運用の規範を整えた。
さらに4楽章設計(急-緩-舞曲(メヌエット)-急)を整え、交響様式を標準化した。
スケルツォの一般化はベートーヴェン以後であり、後期古典派を経て定着した、
音楽史
鍵盤楽器革新と書法転換
イタリアではバルトロメオ・クリストフォリが、ピアノ開発を主導した。
正式名はクラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテで、1700頃・1709言及が残る。
通奏低音中心から離れてアルベルティ・バスが広がり、多感様式とギャラント様式が併存した。
和声と調性対比の明確化が、ソナタ形式原理の準備となったという学習上の基準である、
劇音楽ジャンルの再編
劇音楽ではオペラ・セリア(正歌劇)と、インテルメッツォ起源のオペラ・ブッファ(喜歌劇)が並立した。
ジョヴァンニ・ペルゴレージ《奥様女中》は、後者の節目と位置づけられる。
グルックはオペラ改革で歌手偏重を抑え、劇と音楽の統一(劇的統一)を追求した。
代表作《オルフェオとエウリディーチェ》を残し、後続の劇音楽観に影響を与えた、
ウィーン古典派(18世紀後半〜19世紀初頭:ハイドン/モーツァルト)
時代背景
時代区分と政治文化
18世紀末〜19世紀初頭、オーストリア・ドイツでハイドン・モーツァルト・ベートーヴェンが活動した。
三者はジャンル整備と形式確立を進め、クラシック音楽の基盤を形成した。
狭義1780-1820、広義1732-1827でベートーヴェン後期はロマン派/ロマン主義へ接続する。
ウィーンはハプスブルク文化圏の中核で、神聖ローマ解体(1806)後にオーストリア帝国へ移行した、
思想と美学
思想面では啓蒙・理性・秩序が基調となり、反動として疾風怒濤運動が現れた。
この潮流はシュトゥルム・ウント・ドランク/シュトゥルム・ウント・ドラングと呼ばれた。
J.-J.ルソーの自然/模倣観が共有され、王権神授からの転換が進んだ。
芸術のパトロンの市民化とドナウ川交易圏の集積が、音楽環境を支えた、
音楽史
形式と語法の定着
形式面ではバッソ・コンティヌオ離脱が進み、主旋律と伴奏の分化・ホモフォニー化が定着した。
ソナタ形式(提示-展開-再現、主調/属調/平行調計画)が定着、変奏曲と主題動機労作/動機労作も定着。
交響曲・弦楽四重奏曲・ピアノ曲は、ハイドン100超106/モーツァルト41/ベートーヴェン9で成熟。
A.B.マルクス理論化(19世紀中頃)は後代分析枠となり、主題動機の展開オブリガート声部も定着した、
ハイドン
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)はエステルハージ家で活動し、《朝・昼・夜》と《7曲の短調交響曲》を残した。
交響曲では《告別》《パリ交響曲》《オックスフォード》(92)《驚愕》(94)など主要代表作群を残した。
さらに《ザロモン交響曲》(ロンドン交響曲)《ロシア弦楽四重奏曲》(ロシア四重奏曲。6曲)《天地創造》《四季》《ミサ・サンクティ・ニコライ》を残した、
形式均衡の美学を軸に。弦楽四重奏曲基本編成(第1ヴァイオリン/第2ヴァイオリン/ヴィオラ/チェロ)を確立した、
モーツァルト
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791、35歳没)は自由音楽家として活動し、交響曲・ピアノ協奏曲・室内楽、声楽作品を横断した、
代表作は《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》(セレナード、K.525、小規模交響曲的把握もある)。《交響曲第39番》《交響曲第40番》《交響曲第41番〈ジュピター〉》(3大交響曲)、《ジュノム協奏曲》(ジュノーム協奏曲、第9番)《トルコ行進曲》(K.331第3楽章)、《ハイドンセット》である。
オペラでは《フィガロの結婚》《ドン・ジョヴァンニ》《コジ・ファン・トゥッテ》がダ・ポンテ三大オペラ(ダ、ポンテ)を成し、《魔笛》《後宮からの誘拐》はジングシュピール(しゃべり科白)の典型である。
宗教では《アヴェ・ヴェルム・コルプス》《レクイエム》(レクイエム・ミサ、典礼、補筆ジュスマイヤー)が重要である、
周辺人物と制度文脈
周辺にはC.P.E.バッハ/カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ、J.C.バッハ/ヨハン・クリスティアン・バッハが接続する。
アレッサンドロ・スカルラッティはナポリ楽派の系譜に位置づき、《ピロとデメトリオ》で18世紀前史を補う。
C.M.v.ウェーバー/カール・マリア・フォン・ウェーバー(1786-1826)はベルリンで《魔弾の射手》を上演し、《オイリアンテ》(1823)《オベロン》(1826)へ展開した。
皇帝ヨーゼフ2世政策下のブルク劇場初演(1782年7月16日)という制度面に加え、《魔笛》のフリーメイソン思想。鳥刺しパパゲーノ(パパゲーノのアリア)、夜の女王のアリア、パ・パ・パが時代像を補強する、
ウィーン古典派(18世紀後半〜19世紀初頭:ベートーヴェン期)
時代背景
政治秩序と公共空間
18世紀末〜19世紀前半のウィーンではフランス革命・神聖ローマ帝国解体・ウィーン会議後の反動体制。カールスバート勅令による統制強化の中で、啓蒙思想・公共コンサート・出版・宮廷依存からの自立が進んだ。
この環境でベートーヴェンは交響曲の理念化を推進しという点が重要である。主題動機労作と大規模構成で交響曲を中心ジャンルへ押し上げるという点が重要である。
音楽史
ベートーヴェンの作風展開と主要作品
1770年生まれのベートーヴェンは1792年にウィーンへ移住しハイリゲンシュタット遺書(1802)。を経て
中期の英雄様式、後期の内省的様式へ展開したという点が重要である。
《英雄》《運命》《田園》《交響曲第9番》、ピアノソナタ《悲愴》《月光》《ヴァルトシュタイン》《熱情。《フィデリオ》《ミサ・ソレムニス》、弦楽四重奏《ラズモフスキー》と後期弦楽四重奏がある。
ロマン主義導入(19世紀)
時代背景
社会再編と聴衆基盤の拡大
ロマン主義は古典主義の均整への反動として成立した主要潮流である。
主観性・感情表出・叙情的表現を前景化し、表現の軸を内面へ移した。
背景にはナポレオン戦争後の社会再編があり、封建主義の後退と資本主義の進展が並行した。
市民社会と国民国家意識が形成され、公開演奏会・楽譜出版・市民聴衆の拡大が音楽文化を支えた、
音楽史
主要語法と地域展開
作品面では性格的小品(ノクターン・即興曲・無言歌)が浸透した。
標題音楽と絶対音楽が対立し、イタリア・オペラとフランス・オペラも競合した。
ヴィルトゥオーソ文化(パガニーニ・リスト)が進み、演奏会様式を更新した。
国民楽派(ロシア五人組・チェコ・北欧)が展開し、印象主義と印象主義音楽へ接続した、
ロマン主義(19世紀:ドイツ・中欧)
時代背景
前期から後期への作曲家配置
ロマン派前期はシューベルト・メンデルスゾーン・シューマン・ショパンが中核である。
詩的感情・歌曲・ピアノ技巧を軸に、超絶技巧と楽劇志向も拡張した。
中期はリストとワーグナーで、トリスタン和音と示導動機(ライトモティーフ)が和声・劇構造を刷新した。
後期はブラームス、ブルックナー、マーラー、リヒャルト・シュトラウスが交響語法を展開し巨大化した、
音楽史
理論対立と語法拡張
理論面ではE.ハンスリック《音楽美について》を背景に、絶対音楽と表題音楽の対立が明確化した。
同時に半音階主義の深化と調性拡張が進み、後期ロマンの語法が強まった。
豪壮華麗な音響志向は、管弦楽と声楽の両面で持続的に拡張したという位置づけである。
さらにリート・連作歌曲(リーダーツィクルス/リーダークライス)が成熟し、詩と音楽の結合は精緻化した、
ロマン主義(19世紀:イタリア・フランス)
音楽史
オペラと管弦楽語法の展開
イタリアではベルカントからヴェリズモへ連続し、イタリア・オペラの軸が形成された。
担い手はロッシーニ・ドニゼッティ・ベッリーニ・ヴェルディ・マスカーニ・プッチーニである。
フランス側ではグランド・オペラとオペラ・コミックを軸に、語法更新が進行した。
ベルリオーズ・グノー・ビゼーが基盤を広げ、ドビュッシーとラヴェルが印象主義と新古典主義を展開した、
時代背景
社会変化と文化受容
世紀後半にはパリ万国博覧会と写真技術の普及が、文化受容の速度を押し上げた。
文学潮流では象徴派と写実主義(現実主義)が同時期に並立していた。
この変化は音楽受容にも波及し、社会全体の聴取関心を多層化した。
作曲側では音色重視・非機能和声・管弦楽法の精緻化が顕著に進行した、
ロマン主義(19世紀:国民楽派と地域展開)
音楽史
民族語法と都市舞曲の拡張
国民楽派はロシア五人組・チェコ・北欧を軸に展開し、民族語法と歴史意識を音楽へ組み込んだ。
ロシア側ではムソルグスキー、リムスキー=コルサコフ、チャイコフスキーが地域語法拡張を主導した。
チェコ・北欧側ではスメタナ、ドヴォルザーク、グリーグ、シベリウス、ニールセンが象徴作を生み出した。
都市文化ではヨハン・シュトラウス1世とヨハン・シュトラウス2世のワルツが、国際流行を形成した、
20世紀前半(1914〜1945)の歴史背景
時代背景
戦争と秩序の断絶
20世紀前半(1914〜1945)は、第一次世界大戦と第二次世界大戦で欧州秩序が揺らいだ時期である。
ナショナリズムと帝国主義の帰結は、文化全体に大きな断絶をもたらした。
この断絶の中でモダニズムが前景化し、芸術は過去否定と新技法探求を強く志向した。
文化史
美術前衛と音楽思潮の接続
美術領域ではカンディンスキーの抽象と、デュシャンのレディメイドが既存価値観を更新した。
さらにダダ運動/ダダイズムが反芸術の潮流を形成し、音楽でも前衛化の思想基盤となった。
20世紀前半(1914〜1945)の音楽語法
音楽史
ドイツ語圏の制度化と亡命
ドイツ語圏では新ウィーン楽派が無調と12音技法を制度化しという学習上の基準である。表現主義的な内面表出シュプレヒシュティムアフォリズム的凝縮などで調性中心の枠組みを再編した。
ナチスドイツ政府の誕生以後は亡命によって教育拠点がアメリカへ移る流れも生じる。
各地域の前衛語法と電子楽器
他地域では、未来派と騒音芸術、ストラヴィンスキーの原始主義が前衛語法を拡張した。
サティと家具の音楽、ジュヌ・フランスの限定旋法/非西欧リズム/鳥の歌も潮流を形成した。
ソ連では社会主義リアリズム、シンフォニック・ジャズ、プリペアド・ピアノが並行して展開した。
テルミン・オンド・マルトノなど電子楽器の導入も同時進行で進んだ、
20世紀前半(1914〜1945)の地域展開(要点)
地域展開
地域差と後半期への橋渡し
フランスでは新古典主義と色彩的語法が並行して展開した時期である。
イタリアでは機械文明志向の未来派が前景化し、ロシア・ソ連では政治体制との緊張が続いた。
アメリカではジャズとクラシックが接続し、ケージの実験音楽とガーシュウィンの都市的語法が広がった。
バルトーク・コダーイの民俗音楽研究は、20世紀後半への直接的な橋渡しとなった、
20世紀後半(1945〜1991)の歴史背景
時代背景
冷戦秩序と文化制度の再編
1945〜1991は冷戦と核軍拡競争が世界秩序を規定した時期である。
国連・UNESCOの制度化と並行し、文化は国際交流の媒介として再編された。
音楽では戦時亡命と教育制度の移動が、研究環境の再配置を促した。
欧州とアメリカの研究拠点は、戦後に緊密な連結ネットワークを形成した、
20世紀後半(1945〜1991)の音楽語法
音楽史
戦後前衛の多方向分岐
戦後前衛はダルムシュタット夏期講習を核に、トータル・セリーと総音列技法を展開した。
チャンス・オペレーション、アレアトリー、クラスター、拡張奏法も同時に広がった。
ミュジック・コンクレートとライブ・エレクトロニクス、シンセサイザーが音響領域を拡張した。
ミニマル・ミュージックとスペクトルも併存し、多方向への分岐が定着した、
作曲家層と語法の併存
作曲家層はブーレーズ・シュトックハウゼン、クセナキス・リゲティを中核に再編された。
さらにライヒ・グラス・ペンデレツキ・グレツキ・ペルト・イーノへと重心が広がった。
同時に調性的回帰やポストモダン的併存が進行し、多元的な語法環境が形成された。
とくにポリスタイルは、異質な語法を同一作品内で接続する指標である、
20世紀音楽家各論(20世紀:地域別)
時代背景
体制・制度と地域別前衛語法
20世紀後半はナチスドイツ/ソヴィエト体制と亡命、大学制度、放送。研究機関の整備により、各地域で異なる前衛語法が成立したという点が重要である。
ここではドイツ・フランス・アメリカ・ロシア/ソヴィエトという学習上の基準である。イタリア・イギリス・日本を軸に、人物と技法の連関を整理するという位置づけである、
ドイツ・フランス(20世紀)
人物と技法
ドイツ語圏とフランス前衛の拠点形成
ドイツ語圏ではシェーンベルク・ベルク・ウェーベルンの新ウィーン楽派が形成され、近代語法の基盤となった。
ヒンデミットとシュトックハウゼンが12音技法・トータル・セリーとライブ・エレクトロニクスを推進した。
フランスではサティ・メシアン・ジョリヴェ・シェフェール・ブーレーズ・ミュライユら前衛語法を展開した。
家具の音楽・限定旋法・ミュジック・コンクレート・スペクトル楽派は、IRCAM拠点化と連動して定着した。
アメリカ・ソビエト/ロシア(20世紀)
人物と技法
アメリカ実験主義とソヴィエト統制下の作曲
アメリカでガーシュウィンのシンフォニック・ジャズが重要である、ケージの偶然性音楽とアイヴズの実験主義が基軸化した。
ラ・モンテ・ヤング/ライヒ/グラスがミニマル・ミュージックを担い、ヴァレーズの実験主義を継承した。
ロシア革命後のソヴィエトでは、社会主義リアリズムとジダーノフ批判が創作環境を規定した。
プロコフィエフ・ショスタコーヴィチ・ハチャトゥリアンは、統制下で複層的な語法を形成した、
イタリア・イギリス・日本(20世紀)
人物と技法
各国前衛の接続と展開
イタリアではルッソロ未来派とルチアーノ・ベリオの引用音楽が展開し、シンフォニアコラージュを形成した。
イギリスではBBC支援下で、ブリテンが戦後のオペラ復興を主導した。
同地でファーニホウとイーノが、ニュー・コンプレクシティとアンビエント・ミュージックを展開した。
日本では黛敏郎・武満徹が、東洋楽器とスペクトル解析で更新し、西洋前衛と日本的音響の接続を具体化した、